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2023(令和5)年度
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@10千日回向開始 、現在・B6
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10←開始時

 1・4/18〜 4/ 9  2・4/ 8〜3/30
3・3/29〜 3/20  4・3/19〜3/10
5・3/ 9〜 2/28  6・2/27〜2/18
7・2/17〜 2/ 8  8・2/ 7〜1/29
9・1/28〜 1/19 10・1/18〜 1/ 9

 

≫2/27/23(月) 初めまして247です。
戦後の日本人の日常生活の中に娯楽が入ってきたのがラジオを通じて家庭内に入ってきたラジオ番組である。その頃の情報コンテンツは“君の名は、笛吹童子、紅孔雀など”や株式市況など今も耳に残る記憶である。1億中流化を目指し、産業活性化を促進を加速化するまではよかったが、アメリカの傘下にあることを忘れ、大学紛争の挫折から一変し経済界は日本船団方式へと邁進バブルを作り出し、その中で産業界は1995年のウィンドウズ95の発売となった。

 

≫2/26/23(日) 初めまして247です。
87年前の今日、日本では226事件がありました。憂国の陸軍の青年将校の決起の自決の反動で第二次世界大戦へと足を踏み込むこととなったことは周知の如くである。そしてわずか10年足らずで劇的に世界が変わってしまうことになったようだ。それもその後の冷戦を見越しての無条件降伏を受け入れるという辻褄の合わせ方をしたことが、その後の世界の不確定的現実を作ってしまったといえる。これまでの文化に格差を設け、聖俗併せ呑むアニメなどのサブカルチャーなる文化を作り出す契機となったと思う。

 

 

≫2/25/23(土) 初めまして247です。
お互いに切磋琢磨し産業を含む国力の安定が維持され発展するのが最も理想的なのだが、それがなぜ壊されてしまったのだろう。コロナ以降相手を落とし込む情報の果てがまさか戦争につながると思ってもしなかったのだろう。戦争というものは自国が他国に対し圧倒的優位にあると錯覚することで始められることが多い。格闘技での勝敗はいのちを基とするので厳密なルール作りを考えていく必要があるが、こと侵攻とか戦争という局面において厳密な国際法で処罰の規定があっても、集団による不確実的武器の使用を伴うことで裁定が複雑多岐に及ぶことになる。
これからの確実な安全な国際社会の基で安定した技術の発展を獲得していくためには、平和な国際社会維持のための集団的世界的規模のスポーツによって各国の若いときからの集団的魂の浄化を推進していきたいものだ。例えばワールドカップのサッカーとか野球、オリンピックなど。

 

≫2/24/23(金) 初めまして246です。
ウクライナ侵攻が始まり、今日で1年。西欧でもこの時期が最も厳しい日々、ウクライナの市民は身の回りで起こっている現実を客観的に見るゆとりもない状況にあり、他からのアドバイスも“所詮、当事者になってみないと”と、受け入れがたくなっているのではないだろうか。戦争という現実はお互いに被害者であり加害者を主張し合うことで収拾がつかない状況で例え第三者が仲介に乗り出そうとしても、所詮は部外者という立ち位置が変わらないことには解決の道は見えてこない。まず大事なのは双方が被害者であるという立場で戦後処理の具体化を促進するとともにその中で一刻も早い停戦への道筋を示しておく必要がある。

 

≫2/23/23(木) 初めまして245です。
今日は天皇誕生日。昨夜は風呂上がり、またしても深夜湯船からでれない程の重度の貧血。2時間耐えて辛うじて寝床にたどり着くがめまいからの息苦しさは収まらなかった。このまま死ぬかもと思いながら深い眠りにはいった。ところが目覚めると澄み切ったように体の苦しみが収まっていた。こんな苦しみを味わうことになるなら、しばらくは風呂にも入らないでおこうと思った。個と集団との関連を考えることもできれば止めようとさえ思った。2、3日前にの日本書紀の天皇についての論評を書いたのが影響したのかもしれないと一寸思ってしまった。個と集団、現実(情緒)と夢(ロマンと論理)の差異を何となく感じた。

 

≫2/23/23(木) 初めまして245です。
今日は天皇誕生日。昨夜は風呂上がり、またしても深夜湯船からでれない程の重度の貧血。2時間耐えて辛うじて寝床にたどり着くがめまいからの息苦しさは収まらなかった。このまま死ぬかもと思いながら深い眠りにはいった。ところが目覚めると澄み切ったように体の苦しみが収まっていた。こんな苦しみを味わうことになるなら、しばらくは風呂にも入らないでおこうと思った。個と集団との関連を考えることもできれば止めようとさえ思った。2、3日前にの日本書紀の天皇についての論評を書いたのが影響したのかもしれないと一寸思ってしまった。個と集団、現実(情緒)と夢(ロマンと論理)の差異を何となく感じた。

 

≫2/22/23(水) 初めまして244です。
春が来るかと思ったら相変わらず寒い。故郷のことを思えばまだましだ。能登の御陣所太鼓を思い出す。宝塚祭りで大阪で久ぶりに見た時の感激が幾度も自らを勇気づける。武器も持たず未明に松明をかざし、多様な鬼の面で着ざらしの浴衣をはだけて踊り狂う外敵を追い払う為の演舞。ギリシア悲劇を演ずる円形劇場の演目、世阿弥の現世と来世を行き交う薪能にも通ずる感情が今日の寒さに立ち向かう気力となった。求める悲壮美の原点がここにある。

 

≫2/21/23(火) 初めまして243です。
“宇宙戦艦ヤマト”といえば“大和”と銘々すべきところが“ヤマト”としたのは、“大和”は戦時のあまりにつらい記憶を呼び起こすとしたからではないか。“和をもってと尊しとなす”という日本書紀の天皇による国作り伝説に由来に起源があり一種の夢と野望の産物で、もともとに日本人のこころは古事記に残され抒情的な感情にこそあるとした本居宣長の古事記伝に基づく論理より感情を優先させるのが妥当とされる。宣長の生きた江戸時代は一般には寺小屋教育が盛んでその教育内容は中国からの儒教(朱子学)が用いられたものが主流であったにも拘わらずである。万葉集は身分の壁をなくしそれぞれの立場でお互いのこころ(感情)を後世にまで残そうと結晶というべきで、この頃に俳句がつくられ、現代では演歌となったと考える。かたやロジステック(論理)、後者はデバイス(感覚)で一見、論理が主である様だが日本は人間以外の生物はおろかあらゆるものにことばを見いだし感情表現に供していることで文化を創り上げている。にもかかわらず巷に唯物論的解釈で混迷の一途をたどっている。

 

≫2/20/23(月) 初めまして242です。
散歩の歩き出しは慎重で最後は軽くジョッキング。常に自分の体の変調があればすぐ対処するゆとりを持てば緊急時を回避できると思う。それが今日亡くなった漫画家松本零士さんの場合できなかったのではと残念でならない。私も小学校時代はお宅系で色鉛筆で昆虫や貝殻、軍艦とか細かい描写の世界にどっぷりつかっていた時代があったが、それより大分後に今までにない壮大なスケールの“宇宙戦艦ヤマト”の漫画があらわれた。

 

≫2/19/23(日) 初めまして241です。
昨日の目覚めで胃の奥の不快感が気になるので、二食に減らしおかゆにしたおかげで今日の朝は9時間起床も快調
アンドロイドTVのユーチューブの巻頭に勝新の若いとき見た“兵隊ヤクザ”という映画がでていたので昔みたときとちがった感情になる自分に興味を感じつい見入ってしまった。ヤクザの勝新も軍隊に配属されれば二等兵、自分も若いときから生意気に見られたので、勝新の役にいつしか共鳴していた。文武に長けた大学出たての下士官の逆鱗に触れ、半死半生の折檻、勝新に正義感を感じた古参兵の伍長は自分の方がこの隊では古いので人脈は厚いことを知って、例え上官でもどちらに他は従うか知らせた上、勝新に反撃を許し、下士官は半死半生のめに合う。今も昔も変わらない。権力をどんなに下まで及ぼそうとしても、現場に長くいるものがその集団では力を持っているものだ。教育現場では転勤をさせることで上からの命令の通りをよくする手法を使う。私の教科の美術という教科はもっともそうした配置換えになじまない訳だが、最後は当時情報教育担当配属が始まれかけた時期とも呼応し数校掛け持ちとの構想もあったらしい。

 

≫2/18/23(土) 初めまして240です。
昨夜は風呂上がりには慎重にしてたつもりだがまたしても風呂場と台所の温度差がありすぎのためヒートショックでいつもの貧血でぶっ倒れ、深夜であるため裸のまま1時間余り回復を待った。ただでさえ見えない視野がぼんやりしか見えない。一寸起きれるようになったので、なんとか寝床にたどり着いた。だから今日の朝もその余韻が残っている。常に死と隣接している感じだ。若いとき老人が一様に日常的に驚いた表情をしていたのを思い出すと、今になって診療の結果の厳しさにおびえながらの気持ちが表情にでていたのだと、今になってわかる。

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